2026/03/17
伊藤由美子です。
3月も後半、これから本格的な引越しシーズンとなりますね。
新居への期待に胸を膨らませる方もいれば、長く暮らした住まいを離れる寂しさを抱える方もいらっしゃることでしょう。
「住まいが変わる」という出来事は、単なる物理的な移動というだけではない、人生の節目です。
本日は、その節目をめぐる<異色のマイホームミステリー>、青山七恵さんの小説『前の家族』をご紹介したいと思います。

まずは、あらすじです。
三十七歳にしてマイホーム購入を思い立った小説家の猪瀬藍。気になるマンションへ内見に行くと、そこにはまだ、若い夫婦と幼い姉妹の小林一家が暮らしていた。彼らは十二年間住んだこの部屋を離れ、近くの新築一軒家に引っ越すという。
すっかり気に入った藍は購入を決意。リフォームも完了し、新生活を満喫していたある日、新居に小林姉妹が押しかけてくる。以来、食事やお泊まり会に招かれ、小林家との交流に甘美な幸福を感じる藍。だが、新居では奇妙な出来事が次々と起こり始め……。
本書を読んで一番印象に残ったのは、家や暮らしについての丁寧な描写です。
家具の配置、生活の匂い、日差しの入り方など、小説を読んでいるのにまるで映画を見ているような映像が眼前に浮かびます。
とくに食の描写では、口に含んだときの感触や温度までが伝わってきます。
食へのこだわりは、青山さん独自の感性による比喩表現にもありました。
ほかではあまりお目にかからない、食べものに例える比喩が多くあり、登場人物の顔を「杏仁豆腐のように白くて滑らか」と表現する場面は、柔らかく甘いイメージのはずが、物語の空気の中ではどこか不気味に感じられて、そのギャップが胸をざわつかせ…。
前の住居に深い思い入れをみせる家族の様子と、主人公がその家族に取り込まれていく過程を読み進めるうちに、 「家とは? 家族とは?」「住まいは、暮らしを紡いでいく舞台? 記憶を宿していく器?」と、いろいろな問いが頭に浮かびました。
私は幼い頃より本が好きで、こちらのブログでも折に触れ“不動産につながる本”をご紹介してきました。
たとえば、住宅の歴史、都市の成り立ち、土地や建物にまつわるエッセイなど、取り上げております。
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『やとのいえ』
『正直不動産』
本を読むことは、他者の視点を借りて世界を眺めることです。
それにより養われる、多面的に物事を見る力、背景を想像する力、言葉を丁寧に扱う姿勢は、鑑定評価において活きてきます。
いまは、インターネット上にテキスト情報も動画情報もあふれている時代です。
しかし、一冊の本を通して、ある世界観を丸ごと味わう、体系的に構築された知識や物語に身を浸す、そんな時間は、効率的・断片的な情報収集とは異なる、深い思考をもたらしてくれます。
専門性を磨くためにも私にとって読書は大切な時間です。
お客様にも本好きの方々がいらして、打ち合わせの合間に、読んだ本の話で盛り上がることがあります。
不動産から始まったご縁が、本の話題でさらに深まる。
とても嬉しいひとときです。
引き続き、業務に新しい視点をもたらしてくれる本との出会いを、大切にしてまいります。
そしてまた、新たに読書好きなお客様との出会いがありますことを、楽しみにしております。
