FRAコンサルティングの降矢です。

平成31年地価公示に関連し、今日は、墨田区の話題をお届けします。

まず簡単に墨田区がたどった歩みを振り返ってみます。
 
現在の墨田区のあたりはもともと農村地帯でしたが、南部は江戸時代に明暦の大火の復興として幕府が行った開拓により、武家屋敷や町家、寺社等の移転先となり、その後は住宅・商業地域として発展しました。北部地域は農村地帯を中心に、隅田川と周辺の寺社地は江戸の市民や文人墨客の遊覧の地として親しまれていました。

そして明治時代となって、河川の水運、労働力、用地の確保のしやすさから北部は紡績、南部はゴム・精密機械などの工業地帯として発展。その後、南部地域は関東大震災、第二次世界大戦による大きな被害を受けた一方、北部地域は戦災を免れ、現在へと至っています。
 
このような経緯より、住宅地・商業地・工業地が混在しているのが墨田区の特徴で、おおむね北十間川を境にして、北部は中低層の建物を中心とする密集市街地、南部は中高層の建物を中心とする街並みが形成されています。
 
 
5bb50fe9dd15f004497d7d70e3f84010c_s
平成31年地価公示では、区内全域の地価が上昇しました。
 
特に、南部のJR総武線錦糸町駅・両国駅の周辺の評価地点では、10~14%の上昇が認められました。

前回ブログで取り上げた浅草橋周辺と同じく、錦糸町・両国エリアでも外国人旅行者が年々存在感を増しています。
 
 
 
弊社は錦糸町駅にほど近い場所にありますが、夜食を買いにコンビニに立寄ったときなど、レジに列を作っているのはほとんどが外国の方です。

錦糸町には以前はアジア系の旅行者が多かったですが、最近では半分アジア、半分欧米、という印象で、欧米系の方が目立つようになってきました。
 
 
こうしたインバウンド要因に加えて、平成31年1月1日時点の価格を求める地価公示には別に織り込まれていた要因があります。

この3月16日にオープンした「錦糸町パルコ」開業の影響です。
 
下町エリアのパルコの新店では、平成29年11月にオープンした「パルコヤ上野」が思い出されますが、こだわりを持つオトナ世代をターゲットとしたパルコヤに対し、錦糸町パルコのほうは、職住接近で忙しく働く共働き世帯が想定顧客ということで、全国最大級の無印良品などより生活に密着した業態のテナントが揃っています。
 
 
墨田区最大の繁華街である錦糸町は、交通アクセス良好でその商圏は広く、錦糸町パルコオープンが街のさらなる活性化をもたらすことを地元の人間として期待しつつ、今後も墨田区全域の地価動向に目配りしてまいります。
 
墨田区の不動産に関するご相談ごと等おありの際は、どうぞお気軽にご連絡(03-3626-5160 土・日・祝日もお受けします)ください。
 
 

【関連記事】

東京、墨田・江東・台東の不動産鑑定に強い理由があります

スカイツリーとともに。FRAコンサルティングご紹介。(その1)
スカイツリーとともに。FRAコンサルティングご紹介。(その2)
スカイツリーとともに。FRAコンサルティングご紹介。(その3)
スカイツリーとともに。FRAコンサルティングご紹介。(その4)